姓と名と人生と
- jille8jiji
- 2020年12月25日
- 読了時間: 2分
本の6ページ目、私の名前の漢字表記が本来の「珠梨」ではなく「樹里」と間違っている箇所がある。
名前なんて本当は「J」くらいの表記だっていいと思っているので、
そんな間違いは何てことないけれど。
それよりも名字。これはいったいなんだろう。
近頃、夫婦別姓でいろいろと話題になっている…
血統。家族の証。一体感。
私の姓は、前の夫の名字だったもので、離婚した後も変えていない。
理由の一つには、
前の夫のこの姓は、6~7年の結婚生活の中でだんだんと私の中に溶け込んでいき、
それはもう私の一部になってしまっていたから。
離婚は深くて溺れそうで大きな決断だったけれど、
自分の一部になった姓を旧姓に「変える」「戻す」ことは離婚とのセットではなかった。
元々相手の家に嫁ぐという意識がゼロだったのと、
憎しみ合って別れたわけではないので、
姓に関しては特に悩み考え抜いたりすることもなく、
旧姓に「戻さない」「変えない」という選択が出来たのかもしれない。
もう一つの理由としては、
生まれた時から結婚するまで名乗っていた姓には、どうしようもないほどに生い立ちが染み付き、
空き家の壁に這う蔦の様に小さな棘を持った蔓が絡みついていて、
以前の姓へ「戻る」勇気がなかったから。
私の場合、
母や祖母や家族と姓が違っても、血は濃く自分に受け継がれ、
それは時に打ちのめされるほど強烈に家族の証となっているし、
今のパートナーと姓が違っていても、
躓いたら互いに支え合い歩き出す一体感は太い動脈のように血が巡り
何よりもあたたかな温度がそこにはあって、
結果、私の名前が姓を振り回しているかの如く、いま自分の人生を生きている。
姓と名と人生と。
何処かの政治家たちの様に、血筋を匂わせ(臭わせ)姓ありきの生き方が愚かだと思える以上、
自分が歩いた後に姓名がついて来るくらいが丁度いいのだと思うし、
それが姓名と本人と人生とのベストな距離感なのではないかと思いながら、
改めて自分の写真集でも眺めてみようか。
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