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That's Life.





12月5日、一緒に暮らしていた三毛猫が死んだ。

来年の4月で7歳の美しくて優しい猫だった。


慢性腎不全。

2歳の頃からステージ4と言われていたが

ご飯は残さず食べていたし遊ぶしでずっと頗る元気だった。


2か月前から急に食べる量が減り、そして全く食べなくなった。

同時に口内炎も悪化。

鼻カテーテルをして食事を流し込み、薬も入れる日々。


ゴロゴロ鳴いたりお尻ポンポンすると喜んだり、

一度だけ口からカリカリを食べて嬉しくなったり

つかの間そんな温かな日常もあった。


次第に気持ち悪そうな日が続き、

肺水腫のようになり呼吸が荒く苦しくなり

改めて薬を見直しやめていこうかと、ちょっともう方向を変えていかなければと思っていた矢先

貧血で立てなくなり、最後は苦しみのなかで死なせてしまった。





白湯を飲みながら12月の寒そうな庭を窓から眺める。


左から昇ってきた太陽の陽射しが眩しくて目を細める。

ミケコをどこに埋めようかと考える。

キツネに掘り返されないように深く掘らなくてはいけないなと考えつつ

もうこの世界にミケコがいないことが信じられない。


小さく「ミケちゃん」と呼んでみる。

胸が苦しくなって溺れそうな感覚になる。

さみしくてさみしくて涙がこぼれる。


後悔ばかりだ。

もっと早く、行動していれば

もっと早く、決断して苦しみから解放してあげれば

もっと早くもっと早く…。


でもそれ以上に溢れる思いもある。


一緒に暮らしてくれてありがとう。

いつもモフモフさせてくれてありがとう。

いつも匂いを嗅がせてくれてありがとう。

時々階段で帰りを待っていてくれてありがとう。

私たちのそばで生きていてくれてありがとう。

ずっと最後まで可愛い存在をありがとう。


ありがとうという気持ちもまた溢れてくると溺れそうになる。

微笑んでるのに涙が出る。

光にも影にもミケコが居る。胸がグッと苦しくなる。


感謝の気持ちが大きい分、後悔はするどく突き刺さってくる。


後悔してもミケコの目は開かない。

悔やんでも生き返らない。


硬くなっていく身体とは裏腹に

記憶は鮮明に柔らかく蘇る。

目を閉じていても開けていても記憶はあふれ出る。

家の至る所にミケコが居る。まだ匂いもある。

実はどこかに隠れて寝ているんじゃないかと、いつもの寝床をのぞき込む。しかしいない。


苦しい思いをさせてごめんなさい。

そんな風に人間たちが泣いてると、

「そんなことどうでもいいから、もっとお尻ポンポンしてよ。手が止まってるー」

何よりお尻をポンポンされることが好きだったミケコなら

きっとそんな風に言っている気がしてしまう。


硬くなった身体をポンポンすると、

もうこの身体は抜け殻で、ここにミケコは居ないんだとわかる。

わかっているのに、触りたい。匂いを嗅いでいたい。離れたくない。


ベッドの上では、姉妹猫のマメコが小さく寝息を立てながら寝ている。

マメコもまた腎臓病ステージ4だ。

ミケコの病状が悪化していく中、数値は同じように悪化してしまった。

精神的なダメージも影響しているのだろう。


連れて行かないで。と心底思いつつ

生まれた時からずっと一緒のこの二匹の太い繋がりを

受け止めなければいけない時が訪れるのではないかと言う恐ろしい気持ちを

どうにか拭い去りながら、

いま出来ることを全てやりつつ、ミケコと同じ苦しい思いは決してさせないようにしようと誓う。




あした目覚めたらきっとまたミケコのいない世界が始まる。


その現実に呆然としながらベッドから降りると、

マメコが私の足元に寄ってきてニャーニャーと鳴き、私は猫を抱っこする。


生まれた時からずっと側にいた姉妹猫を亡くしたマメコの喪失感と

私の喪失感が重なり合う。


暫くすると外で朝日が昇り、窓から差し込む光が私たちの体を照らす。


そんな風に私たちの一日は、明日も明後日も始まっていくのだと思う。


きっとそれが人生というものなんだろう。


That's Life.



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