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ご近所さん

  • 2018年2月13日
  • 読了時間: 4分

更新日:2020年12月7日

その日はとてもいい天気で、猫達が外へ出たがったので少しだけ散歩に出た。

陽射しが雪に反射してキラキラと眩しい。

眩しさに目を細めながら私の前を歩く猫達の後姿を見ると、雪の冷たさに時々足をチョンチョンと振りながら、猫もまた目を細めてこの白い世界を眺め、尻尾は生き生きと好奇心に満ち意思を持って動いていた。

しばらく猫と遊んでいたら、すぐ側にある小さな雪山の上に何か気配を感じたのでそちらに目をやると、

そこには優しい顔をしたキツネがちょこんと座ってこちらを見ていた。

いつも家の周りにはキツネの足跡ばかりで…なかなか出会えないキツネさん。おお!おお!!

冷静を装いながら「ちょっと待っててね」とキツネに声をかけて、

ひとまず猫達を家の中に入れ、カメラを手に持ち、静かに、しかし(かなり)急いでキツネのいる雪山に向かった。

キツネはまだそこにいた。

ゆっくりと近づいてキツネの顔を見ると、優しい顔をした若いキツネだった。

むかし実家で飼っていた犬に似ているなあなどと思いながら…

距離を縮めようとそっと一歩踏み出すと、キツネはタッタッタッと雪山を降りて私から離れ、距離を作って立ち止まり、またこちらを見た。

目の前のキツネの美しさに興奮してしまって、キツネが私との間に作った距離の中に一歩二歩と足を踏み入れてしまい、そのたびにキツネはタッタッタッと私から離れまた距離をとって立ち止まり、チョコンと座ってこちらを見る…そんなことが何度か続いた。

ああごめんよ。

そうかそうか、キミと私にはこの距離感が大事なんだ。

距離があるからといって仲が悪いとは限らない。

近くにいるからといって信頼しているとは限らない。

キツネと私は一定の距離を保ちながら、見つめ合ったり話しかけたり写真を撮ったりして、ひとしきり(私が)遊んでもらった後、キツネはゆっくりと背を向けて歩き始めた。

まだ幼さの残るキツネだったけれど、その身体にしっかりと孤独と自由を内包し、足から伸びる確かな濃い影と共に光が反射する雪原の中を歩いて行った。

この近くにあるであろう住処へと帰って行ったのだろうか。

キツネの姿が見えなくなった後、雪の上には足跡が残っていた。

「自分が歩いた場所に道は出来るんだよ」

そんな言葉が冷えた耳の奥で響き、足跡はこの世界の未来に続いているかのように光の中へと伸びていた。

家の周辺で生きるキツネやカラスを見かける度に、私は逞しい彼らがご近所さんでいてくれることに心強さを感じている。

決して触れ合う事はないけれど、移りゆく季節の中でただただ生を全うするその存在が側にいることがとても心強いのだ。

私たち人間の暮らしは動物たちの暮らしに繋がっていて、動物たちの命は人間の命と繋がっている。

文明の進歩という名のもとに、人類はこれまでどれほどの自然破壊を繰り返してきたのだろう。

「手遅れになる前に」という言葉の意味は、現代人にとって古代文字を読み解く事よりも難解だったのかもしれない。

つい最近までわが家は納豆問題に頭を抱えていた。

これまで食べてきた納豆は昭和25年創業の地元で作られているものだった。

醤油もからしも入っていない100gの納豆が一枚の紙に四角く包まれているだけのシンプルなもので、

おいしいのはもちろんだけど、とにかくゴミになるものが紙一枚で済んだのでとても有難かった。

しかし先月、スーパーにその納豆が見当たらずお店の方に聞くと、

「廃業したようです」という答えが返ってきて衝撃を受けた。

(町の財産である歴史あるものが消えていく事を、時代の流れのせいにして終わりにしようとしていないか。伝統ある物をうまく活用していけば必ずこの町の未来に繋がると思う。新しいものにばかり目を向けず、本当に大切なものを間違わないでほしい。…とかあれこれと町に手紙を書こうと思ったこの話しは長くなるのでもうSTOP)

そういうわけでこれから食べる納豆をどれにしようかと納豆売り場の前で考えるも、

どれもこれも並べられている納豆は…

発泡スチロール

醤油の入ったたれ袋

納豆の上に薄いセロハン

納豆パックをくるんでいる外装フィルム …

なにこれ。ゴミ多すぎ。

日常的にこの量のゴミを捨てることはしたくないよね、とパートナーと確認し合い、

自家大豆もたくさんある事だし、少し手間はかかるけど案外簡単に納豆も手作りできるので、食べたかったら作る…

作るのが面倒なときは買おう。

納豆問題はそういう形でひとまず落ち着いた。

一人一人のどうってことない小さな選択が、

キツネの暮らしや人間の暮らし、子供の未来へ脈々と繋がっている。

だからこれからも暮らしの中にある小さな選択を大事にしていこうと思う。


例えもう手遅れだったとしても、かけがえのないものがある限り、

子供の未来を作っている大人の一人として、消費者として、キツネやカラス(野生動物)のご近所さんとして、ムリのない範囲できちんと選択していこうと思う。

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