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ユーリー・ノルシュテイン

  • 2017年11月28日
  • 読了時間: 3分

この作品は、ロシアのアニメーション監督ユーリー・ノルシュテインの「霧につつまれたハリネズミ(霧の中のハリネズミ)」(1975年)約10分の短編アニメーションです。

映像の詩人と言われるノルシュテインの作品は切り絵を使用したアニメーションで、曇りガラスを重ね表現される霧や水溜まりには本物の水を使うなど…その幻想的な映像世界は見る者の想像力を掻き立てる。

~霧につつまれたハリネズミ~ 

ハリネズミのヨージックは毎晩仲良しのこぐまさんと丸太に座りお茶を飲みながら星を数えることを楽しみにしている。

ある晩、木苺のジャムを持ってこぐまさんに会いに行く途中で、霧に包まれた白馬と出逢う。

濃い霧が立ち込める中で白馬が横になって休むとき霧に溺れてしまうのではないかと心配になったヨージックは、霧の中がどうなっているのか確かめようと足元さえ見えない濃霧の中へと入ってゆく。

ヨージックは霧の中で、何かの気配や影、風、灯り、響き渡る声、助けられたり驚かされたり、たくさんの出会いの中で様々な体験をする。

霧を抜けると心配していたこぐまさんの隣に座り安心しながらも、ヨージックは霧の中の白馬を想うのだった。

ハリネズミ・ヨージックの好奇心がもたらした霧の中での様々な出来事、恐怖や驚きや救いといった体験で、霧に入る前とそこから抜け出た後の彼の中では変化が起きている。それはまるで人間の人生で起こっている事として、この10分のアニメーションの輪郭が自分自身の人生と重なっていく。

大好きなノルシュテインの幻想的な世界。

水木しげるの妖怪や絵本や真っ白いノートにクレヨンで描く物語から一人空想を膨らませていた幼少期に、もしノルシュテインのアニメーションと出会っていたなら、自分の(創造や破壊を含む)想像するチカラから生まれる哲学の奥行きのようなものがさらに深まっていたのかもしれないなと、彼の作品に触れるたび感じてしまう。

2016年にノルシュテインが来日した際、このように語ったという…

「例えば、母親が子供の手を引いて池沿いで散歩をしたとき、『古池や…』と言ったとしたら、子供はその意味がわからなくても、その後どこかで松尾芭蕉の句を見つけたとき、その記憶がふとよみがえるのです。

そのとき子供の脳は活性化し、思考方法が深くなるのです。

そういう機会が増えれば増えるほど、子供は大人になったときに、世界に広がりを持つかもしれない。

だから、私は親がそういう知識を持って、子供に手渡して欲しいと思うのです」

「昔の生活ではねじを巻いて時計を合わせていました。

いまの生活は、どこかで大きなねじを巻かれ、我々は針のように動かされる、そういう錯覚を覚えます。

あまりにも便利すぎて、すべてが空虚なものに感じるのです。

現代の子供は、田舎に行って、水道に手を差し出して水が出ないと言います。

便利になりすぎた社会で、人は水を出すために栓をひねる小さな動作さえ忘れてしまうのです。

このエピソードだけで、小さな映画ができると思います。

私は手を使いたい。人間にとって、自然性を残すということはとても重要なのです」

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